貿易部
海外営業担当高橋 研吾
私は、もともと中野市出身です。高校卒業後は地元を離れ、京都や外国などで過ごし、最終的に戻ってきました。当時、中国語を勉強していましたが、中国と接点がない仕事をしていたところ、たまたま当社と縁ができ、入社して海外とのやりとりをする「貿易部」に所属となりました。現在も貿易部で、国内の商社や海外から輸入した原料や製品を扱う海外営業を担当しています。ただ海外営業といっても、消費者の国産志向や、この10〜15年間の輸入品の値上がりの影響を受けて、現在では日本国内の品物を扱うことが多いです。
私は、貿易部の中でも具体的には大きく分けて二つの流れに携わっています。一つは、大手の食品メーカーや飲食店、ホテルなどをお客様として、外国産の食材や原料を輸入してお届けすること。もう一つは漬物や瓶詰めメーカーなどをお客様としてニーズに合わせた食材を提供することです。
例えば、玉ねぎやキャベツも、そのままの形ではなく、洗ったり刻んだり冷凍したりと、お客様によって多様な加工のニーズがあるので、加工処理は食品加工メーカーにご依頼し、できるだけご要望にお応えする形で納品します。
そんな二つの流れの中での調整役・仲介役を担当しています。商社的な機能と言えるかもしれません。
私は長野県内だけではなく、北海道、九州、沖縄など、さまざまな場所に営業に回って仕入れをしています。長野にないものを県外や海外から、逆に県外や海外の方には長野のものをご提供する、という仕事です。
業務上、ハードな部分はもちろんあります。例えば、遠方の生産者さんから夏の暑い時期に野菜を頂戴して、また別の遠方のお客様にお届けをするという案件では、納品量や納期が厳しく大変でした。仕事の要となるのは「調整」ですが、まだ経験値が浅かったのでうまくいかなかったんです。
また、豪雪地帯である飯山においては、積雪など天候によっては物流面で困ることもあります。例えば長野市内までは品物が届くのに飯山までは来られないとか、新潟方面に向かうトラックがうまく進まないといったことですね。一方で、不便がゆえのメリットもあって、地元の人ならではのネットワークを使わせていただくこともありました。
最近は特に、生産者さんもお一人おひとりがさまざまな価値観を持っています。地域差も年齢差もありますが、提案すれば柔軟に対応してもらえる若い方も増えてきました。調整役として言葉を尽くして説明することが大切ですね。
駆け出しの頃から、それぞれの社員の判断を会社が尊重し、各業務の担当者にある程度裁量を与えていると感じています。もし結果的に担当者の判断が間違っていても、責められるようなことはなく、挽回できるチャンスもあるのが当社の良いところだと思います。
長く勤めている社員も多いので人間関係も良好ですし、私は休日に同僚とゴルフに行くこともあります。
また、この仕事は仕事=地域とのつながりとも言えます。業務の中で、生産者の農家さん、農協さん、農業関係に間接的に従事している方々など、地元のさまざまな人と接点を持てるからです。別の地域からこの飯山に来る方にとっては、もしかしたら他の仕事よりも早くこの地域に溶け込める仕事であると言えるかもしれません。
大学卒業後、中国に渡り現地の会社で働いていたが、とあるきっかけで帰国を余儀なくされる。その後、飯山に戻り観光協会で働いた後に、飯山中央市場に就職。中国語のスキルを生かした仕事も行っている。